出品のこのノリタケの水彩画風の風景画はここに登場した英国の画家「ターナー」の作品に似ていると思う。大昔、「坊ちゃん」授業の際に学校の美術の先生から国語の先生が借りたカラーの写真集を見せられて、何となく覚えていました。「あったりまえの風景画じゃないか」と当時、何とも思わなかった。今回ネットで絵を探してみると、よく使う「松の木」も主役級で出てくるし、ホンモノの迫力とは随分違うけれど、確かにターナー風。 因みにターナーとは“ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー”(Joseph Mallord William Turner、1775-1851年)。英国ロマン主義の画家。詳しくはウィキペディアなんかをご覧ください。
オールド・ノリタケ
「湖畔の家」
主税町工場のフル・ハンドペイント
アール・デコと言うよりアール・ヌーボー?
ターナーの絵の如し。日本の職人芸
微かなラスター仕上げはドイツ流
隆盛の英国陶磁器界に挑む
ノリタケ手描きの最高峰だろう
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★常時50点以上を出品中。まだ少数ですがフィギュリンも出品中(アンティーク、コレクション > 工芸品 > 陶芸 > 西洋陶磁 > ロイヤル・ドルトン)
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(freeway@deluxe.ocn.ne.jp)
皆さま暮れのお忙しい中、当方出品物をご覧いただき有難うございます。パッと光る門のを出さねばならぬ時ですが、閑話休題。段ボールで眠っていたオールド・ノリタケの埃を払ってゆったりご覧いただこうと。
中学生の頃ですかね。夏目漱石の「坊ちゃん」の一シーンで、同僚の美術教師と坊ちゃんが英国の画家「ターナー」について短い会話を交わす場面がありました。岩波文庫を引っ張り出して底のとこだけ抜き書きします。
「あの松を見給え、幹が真直で、上が傘のように開いてターナーの画にありそうだね」と赤シャツが野だにいうと、野だは「全くターナーですね。どうもあの曲り具合ったらありませんね。ターナーそっくりですよ」と心得顔である。ターナーとは何の事だか知らないが、聞かないでも困らない事だから黙っていた。」(原文のまま)
出品のこのノリタケの水彩画風の風景画はここに登場した英国の画家「ターナー」の作品に似ていると思う。大昔、「坊ちゃん」授業の際に学校の美術の先生から国語の先生が借りたカラーの写真集を見せられて、何となく覚えていました。「あったりまえの風景画じゃないか」と当時、何とも思わなかった。今回ネットで絵を探してみると、よく使う「松の木」も主役級で出てくるし、ホンモノの迫力とは随分違うけれど、確かにターナー風。
因みにターナーとは“ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー”(Joseph Mallord William Turner、1775-1851年)。英国ロマン主義の画家。詳しくはウィキペディアなんかをご覧ください。
このトリオのマークはChikaramachi とあって、外国向け磁気を作っていた名古屋のノリタケの主税町工場製です。主税町工場の存在はNoritake研究家、マニアにはよく知られるところなんですが、このトリオのマークは詳しいバックスタンプ表にも出て来ません。まず、このマークが珍しい。
ノリタケが英米に製品を本格的に輸出し始めたのは1914年とされているそうです。1921 年から 1941 年までの期間が、ノリタケの生産において際立った時期だとされます。1921 年の米国法の変更と 1941 年の第二次世界大戦への参入の間と言う事。
ノリタケは様々なマークを使っていますし、なかなか難しそうなのでこの話題は避けますが、この珍しい主税町工場マークのこのターナー風風景がトリオも、この間に作られ英米に販売されたと考えられます。
主税町工場に残されていたものではない。これは英国の骨董商から購入しました。完全にターナー風だから、英国向けに輸出したと考えるのが妥当ではないか。時代のことですが、もしこれが戦後の「オキュパイド(占領下の)ジャパン」のせいひんなら、メイド・イン・ジャパンとしか印字されていまいはずなので、やはり1921年から1941年の間の製品と特定されるべきだろう。
Webでオールド・ノリタケのカップの写真を探していると幸いなことに、これと同じ絵柄のコーヒー・ポットの写真を見つけました。そのポットの写真説明には「100年ほど前のもの」堵しか日本の骨董商が説明してなかったですが、1920年代か30年代という読みなんでしょう。プロの解説を信じて、一応、追う題には1930年代作と書きました。
すこし素人と指摘になるのは、「本格的に輸出」となればある程度の数を量産したはず。はたしてこんな複雑で手のかかるハンドペイントの風景画を量産出来たのだろうか。いくらノリタケの請け職人の腕が長けていたとしても、このハンドペイントはそうそう短時間では描けない。通常使われていた主税町製カップのバックスタンプには、他と同じく、JAPANの文字が必ずマークに組み込まれていました。
英米の輸入側も、当時、生産国表示について厳しかったのではないか。CHIKARAMACHIのもじだけのまーくであるという疑問が消えません。
沿革をじっくり読むと、既に1年のまだアール・ヌーボー期にRCというノリタケの月桂冠マーク」が登録されていた(何処か分からないが、多分英国)と言いますから、このCHIKARAMACHIもこの時期に輸出見本的な立場で異国に入って来たのではないのか。英国向け手出品として、英国のターナーの絵の如き風景画のカップを持ち込んでボツボツ、営業していたのかも知れない。アール・ヌーボーと子の風景画は関係ないであろうが、アール・デコ期のNoritakeは圧倒的に花の絵のカップが多く、こういう風景画はこれまで出品者は他に見ていない。1910年代の可能性が高いと、出品者は今ココロの課では考えています。
トリオの全体を見ると、古臭い風稀有が棚と見えるでしょうが、目を細部に近づけるとこの筆使いが凄いのがよく分かる。中で感心するのはこの鬱蒼とした大きな樹の描きっぷり。逆光の美しさでこういう光を駆使したダーナー風を表現しようというのでしょう。風邪に大きな木の葉が差ウェア沢揺れる感じを、かなり描き込んでいる。花や木を綿密に描くより数念の入った筆使いです。日本の手練れの絵付け職人でも、こういうのは相当訓練しないと描けないのではないか。
出品者がちょっぴり詳しいのは、ブルーのエッジの太いラインの怪しい光沢。これは昔経営者を含むNoritakeの写真がチェコのヴィクトリアの工場地味分を隔して潜入して技術を盗んだドイツ窯の「ラスター」ですね。たいしたこうかはないかもしれないが、ありったけの技術は投入してやろうということでしょう。英国への輸出に当たっての意気込みを感じさせる力作でしょう、これは。
傷も擦れ後もない美品です。解説を書くのが面倒で、永く段ボールに保織り込んだままだったが、sy新撮影しているうちに、こりゃあスゴイ感じました。確か同じトリオがもう一脚あったはずで、探さなくては。
必ずしもノリタケ・マニアでなくとも骨董に関心あればとてもいい素材。掲載の写真をご覧になって何かご存知の方がおられたらご一報を。
このトリオのサイズは次の通り。
カップの高さ6cm、口径8cm。ソーサーとサイドプレートの直径はそれぞれ、13.5cm、15cm。。カップは英国製アースウェアを上回る軽さ。これもぼり竹と言うか日本の磁器のチカラ讃えるべきか。長期使用にはチト、危ないかも。潜在的オタカラしてご鑑賞を。
沿革も色々詳しくWebで調べることができますので、ここでは省略させていただきます。
ほかにもたくさん出品しています。ぜひご覧ください。
+ + + この商品説明は オークションプレートメーカー2 で作成しました + + +
No.108.001.005